『管子』 臣なきを患えず、財なきを患えず
社員研修などで講師を務めれば、僕は先生という立場になる。
では、受講者と比べて、どれだけ優れているかといえば、これは疑問である。 しかし、受講者は、その立場として、先生の指示に従わなければならないし、それが当然と考えている。
同じようなことを言っても、先生が言った方が偉そうに聞こえる。先生と受講生が議論になっても、最終的には先生が勝つことになる。
そういった立場を続けていると、自分が偉いように思えてくる。そして、受講生が劣っているように見えてくる。
これは、上司と部下の関係も、同じである。
上司だからといって優れているとは限らない。 しかし、上司という立場を長くやっていると、部下が駄目に見えてくる。
不思議なのか、当り前のことなのか、高い場所から下を見ると、人が小さく見えてしまうのである。
そして、僕も含め、うちには人材がいないと嘆く訳である。
ところが、ある会社で駄目社員という烙印を押された人間が、他の会社で大活躍する例は、少なくない。
管子の言葉通り、憂うべきは人材がいないことではなく、それをきちんと使う人間がいないこと、というのは正しいことだろう。
しかし、悲しいかな、高い所から下の人を見て、それを大きく感じるということは、実際には相当に難しいことである。
出典 新釈漢文大系「管子」牧民篇
天下不患無臣、患無君以使之。天下不患無財、患無人以分之。
天下は臣なきを患えず、君のもって之を使わざるを患えう。
天下は財なきを患えず、人のもって之を分たざるを患えう。