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天下の小論

其の詩を頌し、其の書を読み、其の世を論ず 東洋古典の箚記集です

『荀子』 德が無く能力が高い人間が一番の害悪となる

学問をするということは、本来は、徳育が中心であった。

それが、明治以降、知育に、その座を奪われた。

 

第二次大戦後は、徳育は棄て去られ、知育と体育だけになった。

体育大学はあるが、徳育大学はないのが、今の日本である。

 

徳もあり能力もある、これが最善であろうが、そういった人材は得難い。

それでは、徳と能力、どちらか一つを選ぶとしたならば、どちらを選ぶべきなのか。

 

荀子の答えは明快である。

 

徳さえあれば、能力がなくても害にはならない。

しかし、徳がなければ、害になる。

 

徳が無く能力があれば、傲慢になって他の人たちを見下し、好き勝手な振舞いをする。

徳が無く能力も無ければ、他の人たちを嫉妬し怨んで、陥れようとする。

 

ほぼ同じことを、ドラッカー も言っている。

「知識がなく、仕事も大したことがなく、判断力や能力が不足していても、管理者として害をもたらさないことはありうる。しかし、品性に欠ける者は、いかに知識があり才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる。企業にとって、最も価値ある資産たる人材を台なしにする。組織の文化を破壊する。業績を低下させる」(現代の経営)

 

荀子ドラッカーの考えが間違っていないことは、現在の社会を見れば瞭然である。

 

出典(明治書院 )新釈漢文大系5『荀子 上』藤井専英著 75頁

巻第二 不荀篇第三

 

君子能亦好、不能亦好。小人能亦醜、不能亦醜。君子能則寛容易直、以開道人、不能則恭敬撙絀、以畏事人。小人能則倨傲僻違、以驕溢人、不能則妬嫉怨誹、以傾覆人。

 

君子は能あるも亦(また)好く、不能なるも亦(また)好し。

小人(しょうじん)は能あるも亦(また)醜(みにく)く、不能なるも亦(また)醜(みにく)し。

君子、能あれば則ち寛容(くわんよう)易直(いちょく)、以て人を開道(かいどう)し、不能なれば則ち恭敬(きょうけい)撙絀(そんちゅつ、謙遜すること)にして、以て人に畏事(いじ)す。

小人は能あれば則ち倨傲(きょごう)僻違(へきい)にして、以て人に驕溢(きょういつ)し、不能なれば則ち妬嫉(としつ)怨誹(えんぴ)して、以て人を傾覆(けいふく)す。

 

 

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