天下の小論

其の詩を頌し、其の書を読み、其の世を論ず 東洋古典の箚記集です

『列子』 人は自分の見たいように世の中を見る

人は、何らかの現象を見たとき、その理由を考える生き物である。どうして、そうなっているのだろうと考え、解釈し、納得する。

 

例えば、ある金持ちを見た時、きっと一生懸命働いたから金持ちなんだろう、と考える。人によっては、きっと悪いことをしたから金持ちなんだ、と考えるかもしれない。

それぞれに違った理由を思いつくのは、人の持っている人生に対する仮説や法則といったものが、違うからだろう。

良く事実を見なさいと言われるが、人にとって大事なことは、事実ではなく事実に対する解釈である。

 

列子』に、こういった寓話がある。

斧を無くした人がいた。

隣の家の子が盗んだのではないかと、疑った。

その子の行動を視てみると、いかにも怪しく、斧を盗んだ人間の行動である。顔の表情も、おどおどしているようであり、斧を盗んだ人間の表情である。言葉や喋り方も、斧を盗んだ人間の喋り方である。 とにかく、良く視れば視るほど、その子が斧を盗んだとしか思えないのである。

ところがある日、盗まれた筈の斧が出てきた。

その後、隣の子を見ても、全く斧を盗むような人間には思えなかった、という。

 

同じ事実を視ても解釈の仕方によって、全く違うものに見えてしまう。

人は、自分の人生は自分が選択しているというが、それは、こういったことを指すのであろう。

同じようなことを経験しても、同じような人生を送っても、それを幸せであったと感じるのか、不幸であったと感じるのか、それはその人の解釈次第である。

 

こう考えると、幸せであろうとするならば、大切なことは事実としての人生よりも、自分自身の持っている考え方を変えることの方が大事なのかもしれない。

「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」、ということであろうか。

 

出典 新釈漢文大系『列子』説符篇第三十三章416頁

人有亡鈇者、意其鄰之子。視其行歩、竊鈇也。顔色竊鈇也。言語竊鈇也。作動態度、無爲而不竊鈇也。

俄而掘其谷、而得其鈇。他日復見其鄰人之子、動作態度、無似竊鈇者。

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