『孟子』最後に「仁」は勝つ
はるか昔の学生時代、自協学舎という故是松義春先生が設立したアジアの学生達向けの寮で暮らしていたことがある。
そこの舎訓の第一ヶ条が「仁者無敵」であった。
これは、孟子の考え方である。
孟子は、その内容もさることながら、文章と論理、喩えが素晴らしい。
仁之勝不仁、猶水勝火(告子章句上)
仁というものが不仁に勝つことは、水で火が消えるように当然のことである。
と孟子は言う。
しかし、「仁は不仁に勝つ」といった時、心の奥底で、世間の人は疑っているであろう。
人に親切にしたからといって、世間に愛を以って臨んだからといって、本当に幸せになるのであろうか。
かえって、不実、不仁の人の方が成功しているのが、世の中ではないか、と。
僕などは、この典型である。
仁が立派なことであるとは思っているが、不仁に勝てるかと言われると、疑問を持っている。
そもそも、勝ち負けとは違う話ではないか、などと思ったりもする。
「しかし」と孟子は言う。
水が火に勝つとはいっても、たかだかコップ一杯の水で、車一杯に積んだ薪の火事を消すことはできない。
これと同じように、仁は不仁に勝つ力を持っている。ただ、少しばかりの仁で、大きな不仁に打ち勝つことは、やはりできない。
しかし、だからといって、不仁の方が強いということにはならないであろう、と
ところが、多くの人は少しばかりの仁を行い、仁なんて役に立たないと批判している。
これでは、その少しの仁さえ、無くなってしまうだろう、と。
こう説かれると、確かにそうである。
量が違えば、薬も毒になるし、そもそも大して仁を行ってきてないのだから、批判はやめて取り組んでみる価値はある。