天下の小論

其の詩を頌し、其の書を読み、其の世を論ず 東洋古典の箚記集です

『論語』 やはり不言実行の方が恰好いい

バブルの時代は、日本にとって日本人にとってどんな意味があったのだろうか。

もちろん、一言で語れるものではない。

 

ただ、それまでの常識もしくは正しいとされてきたことが、大きく否定された時代であったことは、間違いないと思う。

 

卑近な例でいえば、アピールすること、自分を主張することが正しいという考え方が広まった時代であった。

 

それ以前の、僕たちが受けた教育は、男は喋るな!というものであった。

しかし、バブル以降、喋らなければ、ビジネスでの成功は難しいようである。

 

当時、ある講演を聴き、今でも印象に残っている。

 

講師が言うには、「不言実行」は既に古く、求められているのは「有言実行」である、ということであった。

 

ここまでは、理解できた。

 

印象に残ったのは、その後である。

最もいけないのは「不言不実行」であるが、「不言実行」と「有言不実行」を比べた場合は、「有言不実行」の方が良いというのである。

 

つまり、喋らないのが一番の罪だということである。

 

孔子は、まず行動せよ。言葉はその後である、と述べているから、これは、東洋3000年の常識や知恵を真っ向から否定する考え方である。

 

常識を否定する考え方には斬新さがあり、新たな発見がもたらされることも多い。

当時としては、「有言」の重要性を訴えた一つの見識だったともいえよう。

 

しかし、今や、自分をアピールすること、意見を主張することの方が常識になってしまった。

 

しかし、それで本当にいいのだろうか。

「有言」ということは、それほど大事なことなのだろうか。

 

個々が個々の利害のために主張し合う社会は、本当に良い社会なのだろうか。

ここまで大仰に考えなくても、「不言実行」の方が格好良いと思うのだが、どうだろうか?

 

出典 (明治書院)新釈漢文大系1『論語』吉田賢抗著

為政第二

子貢問君子、子曰、先行其言、而後從之。

子貢君子を問ふ。子曰く、先ず其の言を行ひて。而る後に之に從ふ。

 

里仁第四

子曰、君子欲訥於言、而敏於行。

君子は言に訥(とつ)にして、行(おこなひ)に敏ならんことを欲す。

 

子曰、古者言之不出、恥躬之不逮也。

古者(いにしへ)、言の出でざるは、躬(み)の逮(およ)ばざるを恥づるなり。

 

 


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