『春秋左氏伝』 賄賂の上手い処理方法
賄賂を断ったことで有名なのは、何といっても後漢の楊震であろう。
楊震という名前は聞いたことがなくても、
「天知る、地知る、我知る、汝知る」
という四知という言葉を、知っている人は多いだろう。
賄賂を持ってきた男が楊震に、
「これを受け取られても、誰にも知られることはありません」
と言ったのに対して楊震は、
「誰も知らないなどということがあるだろうか!天が知り、地が知り、我が知り、汝が知っているではないか!」
と喝破したというのである。
男はぐうの音も出なかったであろう。実に痛快な話である。
しかし、痛快なのは楊震の立場からであり、男からすれば、実に不愉快な話である。 賄賂を贈るをことはもちろん良いことではないが、男は楊震を嫌っていた訳でも憎んでいた訳でもないだろう。ただ、この一事で、男は楊震を恨み憎むようになるだろう。
楊震は清廉で剛直な人柄だったという。
清廉で剛直というのは、最も人に憎まれ嫌われるタイプであり、その多くが不幸に終わっている。楊震も、結局のところは権力闘争に敗れ、自決に追い込まれている。
それでは、素直に賄賂を受け取ればいいのかといえば、もちろん、そのようなことはない。欲深く節操のない人間も、清廉で剛直な人間と同じように、最終的には不幸になることが多い。
春秋時代に、子罕(しかん)という人がいた。春秋というから、楊震よりも六百年も前の話である。
ある男が、
「これは大変な宝です」
と言って、玉を献上してきた。それに対して、子罕は言った。
「私は財物を貪らないことを、最も大切な自分の宝だと考えている。お前は玉が宝だと考えている。私が、その玉を受け取ったら、二人とも自分の宝を失うではないか。お互いに、自分の宝は自分で持っていることにしよう」
相手を傷つけない実にうまい言い方である。
ところが、男は何としても受け取って貰いたかったのであろう。ちょとした理屈を述べるのである。
「私のような下賤のものが、このような宝を持っていると、盗賊に狙われて命を落とすかもしれません。どうか、私の命を助けると思って受け取って頂けないでしょうか」
これを聞いた子罕は。玉を受け取り、それを磨かせて売りに出し、その利益を男に戻してやったという。
これこそが、大人の対応というものだろう。
例え相手が悪であっても、むしろ悪だからこそ、楊震のように正義を押し付けようとしてはならない。賄賂は、受け取らなければ良いだけのことである。
出典 新釈漢文大系 『春秋左氏伝 三』 995頁 襄公十五年
宋人或得玉、獻諸子罕。子罕弗受。獻玉者曰、以示玉人、玉人以爲寶也。故敢獻之。
子罕曰、我以不貪爲寶、爾以玉爲寶。若以與我、皆喪寶也。不若人有其寶。
稽首而告白、小人懐璧、不可以越鄕。納此以請死也。
子罕寘諸其里、使玉人爲之攻之、富而後使復其所。
宋人、玉を得るあり、これを子罕(しかん)に献ず。子罕受けず。
玉を献ずる者曰く、以って玉人に示すに、玉人以って宝となせり。故に敢えて之を献ずと。
子罕曰く、我は貪らざるを以って宝となし、爾(なんじ)は玉を以って宝となす。若し以って我に與(あた)へば、皆、宝を喪うなり。人、その宝を有するにしかずと。
稽首(けいしゅ)して告げて曰く、小人、玉を懐かば、以って鄕を越ゆ可からず。此を納(い)れて以って死を請(こ)うなりと。
子罕、これをその里に寘(を)き、玉人をして之がために之を攻(おさ)めしめ、富みて後にその所に復(かへ)らしむ。