天下の小論

其の詩を頌し、其の書を読み、其の世を論ず 東洋古典の箚記集です

『蒙求』 不労所得へのアンチテーゼ

西郷隆盛は、征韓の論争に敗れて鹿児島へ帰る際、家屋敷を買った時と同じ値段で売ったという。

不動産屋が、「今では随分値上がりしています」といっても、商人ではないから儲けるつもりはないと断ったらしい。

 

時苗(じびょう)という人も、似たような人である。

時代は、後漢最後の皇帝である献帝の時代、つまりは三国志の時代の話である。

時苗は若い時から清白で、悪を憎んでいたという。

この人が、寿春という地の令、つまりは県知事になった。民は政令に従い、その徳は行き渡った。

時苗は、始めて赴任した時には、粗末な車と黄色の牝牛、布の夜具を持参しただけだった。

一年余りして、牝牛が子供を産んだ。職を離れ寿春から去る時には、この子牛を連れて行こうとはしなかった。

言うには、「この地に来たとき、この子牛はいなかった。これは寿春の地が生んだものであり、ここに留めるのが当然であろう」、と。

 

 

出典(明治書院)新釈漢文大系『蒙求 上』 256頁時苗留犢(じびょうりゅうとく)

魏略、時苗字德冑、鉅鹿人。少淸白、爲人疾惡。

建安中爲壽春令。令行風靡。

其始之官、乘薄畚車、黄牸牛布被囊。

歳餘牛生一犢。及去留其犢、謂主簿曰、令來時本無此犢。犢是淮南所生。

時人皆以爲激。然由是名聞天下。後遷中郎將。

魏略にいう、時苗、あざなは德冑(とくちゅう)、鉅鹿(きょろく)の人なり。少(しょう)にして淸白、人となり惡を疾(にく)む。

建安中(けんあんちゅう)、壽春(じゅしゅん)の令となる。令(れい)行なわれ風靡(ふうび)す。

其の始、官にゆくに、薄畚車(はくほんしゃ)に乘り、黄牸牛(こうじぎゅう)、布の被囊(ひのう)のみ。

歳餘(さいよ)にして牛、一犢(いっとく)を生む。去るに及び、其の犢(こうし)を留め、主簿(しゅぼ)に謂いて曰く、令(れい)來たりし時、本(もと)此の犢(こうし)なし。犢(こうし)は是れ淮南(わいなん)の生む所なり、と。

時人(じじん)皆(みな)以て激となす。然(しか)れども是に由り、名、天下に聞こゆ。後(のち)中郎將(ちゅうろうしょう)に遷る。

 

 


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