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天下の小論

其の詩を頌し、其の書を読み、其の世を論ず 東洋古典の箚記集です

『論語』 酒は飲んでも飲まれちゃならぬ 

儒学論語、道徳などという言葉を聞くと、堅苦しいイメージしかない。聖人君子といえば、遊びもなければユーモアもなさそうである。

しかし、実際はそうでもない。

 

儒学は、キリスト教のような意味での清廉潔白さを求めてはいない。

金持ちが天国に入るのは、駱駝が針の穴を通るよりも難しい、などとは言わない。

情欲を以て異性を見ただけで、姦淫の罪になる、などとは言わない。

 

論語と算盤』でも有名な、日本資本主義の父である渋沢栄一は、何人もの妾を持ち、子供は三十数人いたという。

もちろん、現代的意味では許されないことかもしれないが、儒教的には咎められるべきことではない。

 

孟子も、贅沢好きで有名である。諸国をめぐる際には、豪勢な行列を引き連れていたといわれている。

 

そして儒教の祖である孔子であるが、『論語』の陽貨篇では、

「何もしないでぼうっとしているくらいなら、博奕(はくえき)でもした方がましだ」と述べている。

博奕には、色々な解釈があるようだが、その種類は別として、要はギャンブルである。孔子は、話の分かる人なのである。

 

また、食べ物にもうるさかったらしい。『論語』には、

飯は精米したものをよしとし、肉や魚のさしみは細く切ったものをよしとした。

また、飯は臭いが変わったものや色が変わったものは食べなかった。魚も、形が崩れ色が悪いものは食べなかった。半煮えや煮過ぎたものも食べない。季節外れのものも食べない。切り方が悪いと食べない。料理に応じた適切なソースが無ければ食べない、

などと記されている。

結構、我儘かもしれない。

 

そして、酒についても記されているが、この文章がなかなかいい。

酒無量、不及亂。

酒は量無し、亂に及ばず 。

酒は際限なく飲んだが、どれだけ飲んでも乱れることは無かった、というのである。

 

ところで、この短い文にも、儒学の真髄が表されていると言ったら、言い過ぎだろうか。

つまり、酒を飲むなとは言わないのが儒学である。ただ、飲んでも乱れるなというのである。

遊ぶなとは言わないのである。ただ、程度を考えろというのである。

金儲けは罪悪だとは言わないのである。ただ、儲け方に気を付けろというのである。

 

これが、中庸ということだろうと、僕は解釈している。

 

出典 (明治書院)新釈漢文大系1 『論語』吉田賢抗著 224頁郷黨第十

食不厭精。膾不厭細。食饐而餲、魚餒而肉敗不食。色惡不食。臭惡不食。失飪不食。不時不食。割不正不食。不得其醤不食。肉雖多、不使勝食氣。惟酒無量、不及亂。

食(し)は精(しらげる)を厭はず。膾(なます)は細きを厭はず。食の饐(い)して餲(あい)し、魚(うを)の餒(たい)して肉の敗(やぶ)れたるは食(くら)はず。色の惡しきは食はず。臭の惡しきは不はず。飪(じん)を失ひたるは食はず。時ならざるは食はず。割(き)ること正しからざれば食はず。其の醤を得ざれば食はず。肉、多しと雖も食氣(しき)に勝たしめず。惟(ただ)酒は量無し、亂に及ばず。

 

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