天下の小論

其の詩を頌し、其の書を読み、其の世を論ず 東洋古典の箚記集です

『蒙求』子供たちに暗唱させるなら、教育勅語より『蒙求』がいいよ

今は卒業式の時期であろう。
卒業式で「蛍の光」はまだ歌われているのだろうか・・・。

この歌の詞の元は、孫康(そんこう)と車胤(しゃいん)という人である。

『蒙求』(もうぎゅう)という書物によると、二人とも貧しく、灯りのための油を買えなかった。孫康は、雪明りで学び、車胤は蛍の光で書を読んだ。

この『蒙求』は、平安時代以降、初学者用の書物として大いに尊重され、「勧学院の雀は蒙求をさえずる」(門前の小僧習わぬ経をよむと同じ意味)ということわざがあるくらいである。


貧しくて苦労した人の他の例を『蒙求』から探してみると、


王充(おうじゅう)という人は、書物を買う金がなかったので、洛陽の街の本屋に行き、立ち読みした。記憶力に優れ、一度読んだ本は全て覚えたという。

孫文宝という人は、柳の葉を編んで紙の代わりにして、書物を書き写したという。

温舒(おんじょ)という人は、水辺の蒲を切り取って、やはり紙の代わりにした。

徳潤という人は、書物を書き写す仕事で金を稼ぎ、筆や紙を買った。また、書物を写すたびに、その内容を暗記した。

匡衡(きょうこう)という人もやはり貧しく、壁に穴を開けて、隣家の明かりで学んだという。

さらに、貧しさとは関係ないが、勉学の凄さで有名なのは、前漢の大学者、董仲舒(とうちゅうじょ)である。
この人は、およそ三年間、書斎にこもり、自宅の庭や畑を、窺い見することもなかったという。

孫敬という人も凄くて、常に戸を閉め切って学んだため、閉戸(へいこ)先生と呼ばれた。
孫敬が散歩に出ると、村人は珍しいことだと、驚いたという。
また、眠気を遠ざけるために、首に縄をまいて天井の梁に繋げたという。

 

昔の日本の子供たちは、蒙求にあるこれらの話を学び、「よし!自分も負けずに頑張ろう!」と励んだのである。

教育勅語を暗唱させるくらいなら、蒙求を暗唱させた方がずっと世のため人のためになる人間が育つんじゃないだろうか。

 


出典 新釈漢文大系『蒙求 上』『蒙求 下』

460頁
孫康家貧無油、常映雪讀書。
孫康(そんこう)家(いへ)貧(ひん)にして油無し、常に雪に映(てら)して書を讀(よ)む。
晉車胤字武子。
家貧不常得油。夏月則練嚢盛數十螢火、以照書、以夜繼日焉。
晉(しん)の車胤(しゃいん)字(あざな)は武子(ぶし)。
家貧(ひん)にして常には油を得ず。夏月(かげつ)には則ち練嚢(れんのう)に數十(すうじゅう)の螢火(けいか)を盛り、以て書を照らし、夜を以って日に繼(つ)ぐ。

558頁
後漢王充字仲任。
家貧無書。常遊洛陽市肆、閲所賣書、一見輒能誦憶。
後漢の王充(おうじゅう)字は仲任(ちゅうじん)。
家貧にして書無し。常に洛陽の市肆(しし)に遊び、賣(う)る所の書を閲(えつ)し、一見(いっけん)輒(すなわ)ち能く誦憶(しょうおく)す。

591頁
孫文寶(そんぶんぽう)緝柳(しゅうりゅう) 温舒(おんじょ)截蒲(せつぽ)
732頁
德潤(とくじゅん)傭書(ようしょ)
558頁
董生(とうせい)下帷(かい)
159頁
匡衡(きょうこう)鑿壁(さくへき) 孫敬(そんけい)閉戸(へいこ)

 


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