『世説新語』 給料が少なかった人の話
西晋の初代皇帝で、呉を滅ぼして三国志の時代を終わらせた武帝(司馬炎:諸葛亮孔明との戦いで有名な司馬懿仲達の孫)は、竹林の七賢の一人である山濤(さんとう)を重用していた。
しかし、重用している割には、与えている禄、つまり給料は少なかったという。
ある時、東晋の有名な政治家である謝安(謝太傅)が、その子弟たちに、何故だと思うかと尋ねてみた。
そうすると、謝安の甥で、前秦の苻堅との戦で活躍した謝玄(車騎)が答えた。
貰う方の山濤自身が多く貰おうと考えていなかったので、与える方の武帝も少ないとは思わなかったのでしょう、と。
当時、流行った清談というものは、このような受け答えを珍重したのだろう。
雅趣に富んだ話で、好きである。
出典 新釈漢文大系『世説新語 上』177頁
言語第二
晉武帝毎餉山濤恆少。謝太傅以問子弟。車騎答曰、當由欲者不多、而使與者忘少。
晉の武帝、山濤に餉(おく)る毎に恆(つね)に少なし。
謝太傅(しゃたいふ)、以て子弟に問ふ。
車騎、答へて曰く、當(まさ)に欲する者多からざるに由りて、與(あた)ふる者をして少なきを忘れしむるなるべし、と。