『孟子』 親は子供を教育してはならない
親が自分の子供を教育することは、自然の摂理に反している
と孟子は言う。
人としての正しい道を子供に教え、子供がそれを守らなければ、どうしても怒ってしまう。怒りは、親子の情愛を薄れさせ、その関係を悪くしてしまう。
また、親だからといって、常に正しい行いをするとは限らない。
そうすると、子供からすれば、親の言動は不一致ではないかと、批判の心が生じる。 批判の心が生じれば、これも親子の関係にヒビが入る。
親子の間において重要なことは、何よりも情愛であり、正だ悪だとお互いを追求することは好ましいことではない。 親子の間に隙間ができることこそが、何よりも悪なのである。
だから、いにしえの賢人は、お互いの子供を変えて教えた、
という。
よく、家庭の躾が大事だという話を聞く。
躾ということは、人としての正しさを教えることだろう。 孟子の論を正しいとすれば、躾は親がするのではなく、今の時代でいえば学校がするべきことかもしれない。
しかし、学校教育は、知識に偏っているのが現状である。
教員の採用においても、人間性を重視して採用しているとはとても思えない。それどころか、一般社会以上に人間的に問題がある人が多いような気もする。
戦後、これを補完し、躾をおこなってきたのは、企業であった。
企業こそが、人生の道場であるとも言われた。ただ、その企業も、変わってきた。そういった余裕を失いつつある。
この先、若い世代の躾は、一体、誰が行うのだろう。
出典 (明治書院)新釈漢文大系4『孟子』内野熊一郎著 266頁離婁章句上
公孫丑曰、君子之不敎子、何也。
孟子曰、勢不行也。敎者必以正。以正不行、繼之以怒。繼之以怒、則反夷矣。夫子敎我以正、夫子未出於正也。則是父子相夷。父子相夷、則惡矣。
古者易子而敎之。父子之閒不責善。責善則離。離則不祥莫大焉。
公孫丑(こうそんちう、孟子の弟子)曰く、君子の子を敎へざるは、何ぞや、と。
孟子曰く、勢(いきほひ)行はれざればなり。敎ふる者は必ず正を以てす。正を以てして行はれざれば、之に繼(つ)ぐに怒を以てす。之を繼(つ)ぐに怒を以てすれば、則ち反(かへ)て夷(そこな)ふ。夫子、我を敎ふるに正を以てする、夫子、未だ正に出でざるなり、と。則ち是れ父子、相夷(あひそこな)ふなり。父子、相夷(あいそこな)へば、則ち惡(あ)し。
古(いにしへ)は子を易へて之を敎ふ。父子の閒(あいだ)は善を責めず。善を責むれば則ち離る。離るれば則ち、不祥(ふしょう)焉(これ)より大なるは莫し、と。