天下の小論

其の詩を頌し、其の書を読み、其の世を論ず 東洋古典の箚記集です

『呂氏春秋』国益という言葉に騙されてはいけない

何時ごろからだろうか、国益という言葉を、よく耳にするようになった。
10年前には、あまり聞かなかったと思う。
格調高く良い言葉のイメージで使われているようだが、僕は好きにはなれない。

一体、国益とは何なのか。
国民の利益のことであれば、国民の利益と言えばよいのではないだろうか。
そもそもが、政府と国とは、違った存在である。
日本という国は、2000年以上続いているのだろうが、その間、政府は何度も変わっている。

政府は、国を構成する一つの機関であり、全てではない。その全てではない政府が、自らと国を同一視している場合、独裁制になるんじゃないだろうか?
君主による独裁であれば、ルイ14世が言ったように、「朕は国家なり」ということになる。

戦前の日本では、「国体」という言葉が使われた。
連合国への降伏の際、一番問題とされたのが、国体の護持ということであり、簡単に言えば、天皇および天皇制の維持ということである。
敗戦前の日本が、国益・国体を守ろうとして戦争に突入したことを、忘れてはならないと思う。そして、それがどれだけ国民の利益を失わさせたかを。

楚の王が、宝弓を落としたとき、
「探す必要はない。楚の王が落とし、楚の民が拾うのだから、楚の国益を損なう訳ではない」と言った。
周囲の家臣は、明君と称えた。

しかし、この話を聞いた孔子は、
「人が落とし、人が拾う。それで良いのではないか、国という枠組みから抜け出せないところが惜しい」
と述べたという。流石というべきであろう。

呂氏春秋老子になると、もっと凄いのだが・・・・)


出典 新釈漢文大系『孔子家語』129頁好生 第十
楚恭王出遊亡烏嘷之弓。左右請求之。
王曰、止。楚王失弓、楚人得之。又何求之。
孔子聞之曰、惜乎、其不大也。不曰人遺弓、人得之而已。何必楚也。
楚の恭王、出遊して烏嘷(をかう)の弓を亡(うしな)う。左右、之を求めんことを請ふ。王曰く、止めよ。楚王、弓を失ひて、楚人、之を得ん。又、何ぞ之を求めん、と。
孔子之を聞きて曰く、惜しいかな、其の大ならざることや。人、弓を遺(おと)して、人、之を得んのみと曰はざるや。何ぞ必ずしも楚ならんや。

 


出典 新編漢文選『呂氏春秋』20頁 巻一 貴公
荊人有遺弓者、而不肯索。曰、荊人遺之、荊人得之。又何索焉。
孔子聞之曰、去其荊而可矣。
老耼聞之曰、去其人而可矣。

荊(けい)人に弓を遺(うしな)ふ者あり、肯(あ)へて索(もと)めず。曰く、荊人、之を遺ひ、荊人、之を得(う)。又、何ぞ索めん、と。
孔子、之を聞きて曰く、其の荊を去れば可なり、と。
老耼(らうたん)之を聞きて曰く、其の人を去れば可なり、と。

 


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